国語の授業
題の通り、久しぶりに中学生気分に戻った話を書く。先日の岬の先生が、例の生涯学習講座で「大人向け中学国語」の授業をやるというので仕事終わりに御前崎へ。
「岬の宿 八潮」に着くと一番乗りで。カフェの黒板には既に授業の準備なのか板書がしてあった。今回は漢詩を勉強するとのことで、李白と杜甫と、記憶に薄っすらある詩人の名前が書かれていた。
老若男女
開講まで時間があったので予習も兼ねて李白と杜甫のwikiを読み漁る。今から1000年以上前、B.C.700年ぐらいの人々だそう。杜甫は真面目君で政治批判というか現実的な内容の詩、対して李白は自由奔放で詩の作り方も当時の異端的というかパイオニアというか取り敢えずぶっ飛んだ人だったみたい。
開講時間が近づくにつれ受講生が集まって来るのだが、皆ご年配っぽくてヤングな私は少し浮いているような気がした。
指導案
で始まった授業。内容としては漢詩に触れる前に先ずは漢字の歴史を知ろうという導入から始まり、杜甫と李白それぞれの性格や詩のスタイルの比較という展開から李白の2つの詩について学ぶ、といったもの。漢文の白文に書き下しを付けるなんてセンター試験以来だったが何となくまだ覚えていて嬉しかった。
仮にも教員免許所持者の端くれなので授業展開とかは大学で学んである程度の知識はあるが、天晴れとしか言いようがないスムーズな授業展開だった。流石元教師。
獲得させたいもの
というわけで授業の内容を楽しむのは勿論だが、この先生は今回の授業を通して何を伝えたいんだろうってのを気にしながら受講していた。
でやっぱりというか最後にそこに触れた発言があって。仮にも李白や杜甫は1000年も前のポエムなのに今も読まれているわけで。多くの人に評価されている様々な文章を読むことで、「マジで」とか「めっちゃ」とかあり触れた言葉ではない、その時々に合った表現を使えるようになるんでないか?ってのがそれだった。富士山の山頂から日の出を見て「ようよう白くなりゆき~」を思い浮かべるのと同じ。自分もバリとか頻繁に使うので少し自省するいい機会だった。
最後に
授業の中間にはコーヒーブレイクがあり、女将さん淹れたてのコーヒーと例のプリンを頂けた。初めて会う人たち(ほぼほぼ皆人生の先輩だが笑)と話しながらの時間はなんだか給食みたいで、中学時代を思い出した。
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今日のはてなのお題は「10年で変わったこと・変わらなかったことだが」、学生時代から国語は好きで。例えば授業で出てきた漢詩で美人の眉のことを蛾眉と表現(蛾の触覚が丁度そんな見た目らしい)しているものがあったのだが、そんな感じで単語の組み合わせだけなのにそれがイマジネーションを掻き立てたりユーモアを感じさせるから奥が深い。
中学校卒業してからは日記の提出なんて求められてもないのに、未だにブログなんてしているのは、やっぱり幾つになっても文章を書くのが好きだからなんじゃないかな。
はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと」